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Teddy Bear Loves Person

吉野壽高 x イノウエカンナ

各界で活躍する人々にイノウエカンナがインタビューする

 

 
 
吉野壽高|T o s h i t a k a Y o s h i n o
株式会社セキグチ 代表取締役社長
せきぐち

 

 

 

 

 

人形造り100年のセキグチが育むモンチッチ

日本で誕生し、フランスなどヨーロッパ全域、アメリカにも進出し1980年代には世界的な人気キャラクターにまでなったモンチッチ。胴はぬいぐるみ、顔や手足はソフトビニールで作られやわらかくクタクタしている独特の触感とかわいいおしゃぶり姿に子どもから大人までたくさんの人に愛されるキャラクターを誕生させ、2018年創業100周年という節目を迎える株式会社セキグチ五代目社長・吉野壽高さんにお話しを伺いました。
どのような子供だったと思いますか?
弊社の先代が僕の伯父にあたるんです。僕の母親の実家だったということもありぬいぐるみに囲まれた子ども時代でしたね。もとはセルロイドなど人形を作る会社で、たまたま祖母たちがぬいぐるみをたくさん買ってきてくれたこともあって。僕、実は双子なんですが、二人で布団を並べて寝ていても布団にはゾウやクマなどのぬいぐるみに布団をかけてどんどん寝かせて、自分は布団からはみ出て寝るような。小学校4年生ぐらいのまぁまぁいい年齢になったときに、母がぬいぐるみを全部ビニール袋に入れて捨てたんです。それがすごくショックだったんですが、自分としてもまだ小学生ですけどもう子どもじゃないしみたいな感じで、でも気持ちはどん底レベルに落ち込んでいたんですが、子ども心に取り乱したらまずいと思いながら表向きは「あ、そう」と平静を装っていたんですが、弟はそのあと泣きながらゴミ捨て場のビニール袋をずるずる引っぱって帰ってきたんですよ。そんな弟を見て「よくやった!」って思ったことが今でも記憶にありますね。
 
セキグチに就職するきっかけは?
大学を出て旅行会社に就職したんですが、給料は安いし、残業は22時23時まで!が当たり前の世界でそれでも6年勤務していたんですけど、このままづっと続けても・・と思ったんで、当時伯父がやっていたこの会社に「商売の勉強をさせてください!」っていう感じで飛び込んだというのがきっかけですね。よく、この会社を継ぐために呼ばれて入ったの?とかいろんなこと言われますけど、そうじゃなくて純粋に前職に疑問を持っていたので、商売の勉強をするというのを理由に入った感じです。
社長に選ばれた時のお気持ちは?
この会社に入ったのが29才で、社長になったのが36才のときなんですけど、若干、青天の霹靂な感じもありました。
80年続いた伝統のある会社を36才という年齢で継ぐという気持ちに プレッシャーはありませんでしたか?
僕と先代がおじ甥の関係ということもあって、先代の会長がちょうど65才になったとき「(社長を)やれ!」と言われまして、ここで断ったらまずいだろうっていう感じでそんな決意もなく社長になった感じなんです。
 
社長になったときにはすでにモンチッチは実在していましたよね?
モンチッチは1947年に誕生してそれからすごくブームになったんですが、フランス以外では1980代半ばから97年ぐらいまで販売をやめていたんです。会社の考え方として売れているものはいつか売れなくなるという考えがあって、次のことを準備しておかなきゃいけないよというのが意味するところなんですが、定石通り売れなくなったからやめてた時期もあったんです。僕が社長になったときには復活はしてたんですが、そんな大した売り上げではなかったですね。
 
子供の頃からモンチッチとふれあっていました?
はい。現在モンチッチは結婚もしてベビッチッチという子どももいますが、僕が子どもころは、「ふたごのモンチッチ」というふうに売っていたんです。2004年がモンチッチの30周年だったんですが、そのとき記念に何かやろうということになって、社内で30周年プロジェクトを立ち上げアイディアを募集したところ、社員の一人がモンチッチ家族化計画という企画書を上げてきて、それによるとモンチッチを結婚させてその後子どもの新キャラクターをつくればビジネス全体が大きくなるじゃないかという企画だったんです。もともとモンチッチは双子という設定なので、普通だったら「ふたごじゃん!」で終わっちゃうところなんですけど、そのときは自分も含めてそこにあまり拘らず、「いいじゃん!」って感じで実際ディズニーランドのとなりのホテルで盛大な結婚式をして、いろんなプロモーションも打って、10か月後にこのベビッチッチが誕生・発売という一連の流れをつくって、日本において再びモンチッチが復権するきっかけになった感じですね。
 
その流れが、日本から世界へって感じですか?
モンチッチの売り上げに関して言うと、国内が25%で海外が75%ぐらいで海外のほうがずっと大きいんですね。海外のうちのほぼ半分が欧州、もう半分が中国本土・香港・台湾という中国語圏がメインターゲットなんです。結婚式のプロモーションをして人気を持ち上げたのは日本で、海外に関しては結婚式が利いたというよりも欧州は地道な営業活動で、中国では経済の発展と共にモンチッチ人気が出てきた。15年前にはないに等しかったんですけどね。
 
社長として大切にしていることはありますか?
一つ意識していることは、なるべく役に立たないものをつくりたいということなんです。
えっ!?どういうことですか?
というのは、よくいう「こんな機能があります」とか、中にメカが入っていて「二千の言葉を話します」みたいなのがあるじゃないですか。でも僕としては、ぬいぐるみって本当にかわいがると二千どころか普通に言葉をしゃべると、二千の言葉をしゃべるよりも、ぬいぐるみの存在自体にもっとこだわっていくべし!みたいな感じです。もちろん、機能をまったく追い求めないわけじゃないんですが、いろんな人と話しているとプラス1の付加価値みたいな考えもあると思いますが、僕は違う考えでいます。
もしモンチッチと会話ができるとしたらどんなおしゃべりをしてみたいと思いますか?
子どものころもそうですが、自分が弱っているときいちばん助けてもらえるような感じがするので、モンチッチと将来を語るというよりも、「実は今日会社でこんなことがあってさ・・」みたいな感じがいちばん話すことなんじゃないかなって思います。
どんな相談も聞いてくれそうですよね。
そうですね。モンチッチに限らずぬいぐるみ全般がそういう存在であると思います。
 
創業100年を迎えるにあたって思うこと考えていることをお聞かせください。
基本的には、自分の会社が20周年だろうが何十周年だろうが、ちょっとビジネス的な言い方になりますがお客様にはどうでもいいことだと思うんで、あまりそれを声高に言うつもりはないですけど、さすがに100(周年)はいい区切りなので何かやろうとは思っていて、そこで思うことは、とにかく続けることが大事ということです。続けるということはそれだけで価値があることだと思っていますし、100年の歴史は100年かけないと、他のものはお金を出せばいろいろ買えるけど時間は買えないので、続けているということのその価値はすごく大切だと思うし、我々が仕事をやっているのも、「何のために仕事をやっているのか?」というのも究極突き詰めていくと、やり続けることが一番で今があると思っています。何かゴールがあって、例えばモンチッチランドを将来世界十カ国で展開することよりも、続けていくことが価値あることだと思っています。
前号の テディベア ラブズ パーソンのゲスト藤村滋弘さんから吉野さんへの質問をお預かりしています。「これまでの人生のなかでいちば ん思い出に残っている曲を教えてください。」
時任三郎さんが歌っていた「川の 流れを抱いて眠りたい」ですね。
 
最後にテディベアを作っている、またはプロとして活動している作家さん達にメッセージをお願いします。
会社によく、30年前のモンチッチやお人形の修理の依頼がくるんです。本当は新しいものを買ったほうが圧倒的に安いのに、それにもかかわらずやっぱり「このコじゃなきゃだめなんです」と仰られて修理の依頼などいただくわけなんです。そういうものってあまりないので、それが一点物であろうが工業的にたくさん流通されているものであろうが、気持ちを込められるものを作っていることを誇りに思って一緒にに頑張っていきましょう!ビジネス的には1回買って30年持たれたら次のが売れないから困るんですけどね。(笑)

インタビュー掲載号「テディベアボイス VOL.112」は日本テディベア協会(下記URL)からお取り寄せできます。

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